死ぬまで斬られ続けてやる!
15歳で東映の大部屋に入ってから苦節の下積みの後、トム・クルーズ主演の大ヒット映画『ラスト・サムライ』で寡黙な侍役として主役のトム・クルーズとのツーショットを演じ、ハリウッドデビューまで果たした福本清三さん。最近ではトミー・リー・ジョーンズの「宇宙人ジョーンズ」で知られる缶コーヒーのテレビCMでも注目を浴びた。その波乱の半生と今の気持ちを聞いてみた。
思ってもいなかった東映への就職まさかの大部屋俳優になる
私は兵庫県の田舎で生まれ、長男ではなかったので、自分で食い扶持を探さないといけなかったんですね。地元だと染物屋とかの丁稚修行に入るわけです。
私の場合、京都の親戚がやっていた米屋につてを求め、そこに奉公することになりました。15歳の頃です。
ほどなく、その親戚の米屋がたまたま納品させてもらっていた東映の撮影所で働いてみないか、という話が偶然舞い込んできたのです。
別に俳優を目指していたわけではないし、映画のことなんか何も知らなかった。しかし、なんとなく成り行きで入ることになってしまったんです。紹介された演技部の方の計らいで、「お前は体が頑丈そうだな」というだけでいきなり大部屋に入りました。たまに親戚に会うと、「人前に出ると話せなかったくらいに恥ずかしがりの子がねえ」などと冷やかされました。
大部屋というのは、集団合宿生活をしながら、脇役をこなす無名の俳優が修行する場所です。きらびやかな有名俳優さんとはまったく違う、よくいえば彼らを引き立てる、悪くいえば使い捨ての存在が大部屋俳優の仕事でした。
怒鳴られる、殴られる、なんてのは日常茶飯事で、毎日休みなしで命がけの仕事をしなければならないのです。しつけをそこで徹底的に叩き込まれました。
ご存知ですか。時代劇の駕籠の担ぎ役を得るのに一体何年かかることか・・・。普通なら5年はかかります。前後二人の息がぴったり合って左右に揺れないことで初めて出演させてもらえる。信じられないかもしれませんが、駕籠の担ぎ役をやるというのは大部屋では一目置かれる存在なのです。私など冬の撮影で川に浮かぶうつむきの土左衛門(水死体)を演じるのがせいぜい。 夏物の着物を着せられ、監督に震えないようにとかいって、気休めで心臓の周りに油を塗りたくられて、それでも体の震えがとまらず、息も続かず、撮影が延びた悔しさが今も頭をかすめます。
一つの時代劇作品で、あるときは町人、あるときは浪人、あるときは農夫と一人で何役も演じます。それでもテロップにすら記載してもらえません。当時の映画監督の方々から名前を呼んでもらえることもありませんでした。大部屋俳優はみんな「おまえら」だったのです。
スタントで得たチャンス「不死身」の噂で生き残った若き日
映画に活気があった当時の大部屋には非常に多くの端役がいました。その中から見出してもらうのは並大抵のことではありません。初めて役をもらったといえるのは、大部屋の下積みを続けて10年ほど経ってからでしょうか。当時はそんな言葉すら浸透していなかったのですが、「スタントマン」というやつです。主役の俳優さんがケガをしそうな危ない場面だけ、顔が映らないように実演をこなすのです。
我々大部屋の人間は、使ってもらえてナンボ、という存在なのです。やってみろといわれて断われるはずもありません。しかし、それは火の中に飛び込むとか、何十メートルも上の崖から飛び降りるという過酷なものです。当時はちゃんとした消火装置もクッションもありません。せいぜいバケツに水、飛び降りる先に布団1枚敷いてわらをかぶせるとか、その程度です。
私も人間ですからケガをします。でも、どんなひどいケガをしても、「大丈夫です。出させてください」といい続け、危ない仕事を進んで引き受けました。それで初めて撮影現場の信頼を得ることができたのです。「アイツなら何をさせても不死身だから」という話が広まって、初めてちゃんとした仕事を任せてもらうことができたのです。もちろんやせ我慢です。脂汗が出て震えるくらいの痛みに耐えて、監督の前では平然と演技するのです。顔は見せなくとも主役と同じ衣装で、その役を演じることで、「私は映画に役立てるのだ」という喜びが私の支えでした。
だから、失敗談というのはありません。私がいつも命がけでやっているのを現場が承知してくれているので、無様な取り直しが出てもだれも笑いません。そこはプロの世界なのです。
通称「5万回斬られた男」
そうしたスタントアクションが時代劇映画やテレビシリーズの「斬られ役」につながっていきました。斬られ役というのは特別な脇役ではありません。しかし、斬られ役の倒され方次第で主役が“立つ”かどうか、それが大きく変わります。主役が目立たないと絵にはならないからです。
殺陣(たて)の稽古は先輩につけてもらうのですが、それは剣を合わせるに過ぎません。昔から変わりませんが、どう演じるかは、他人から盗み、自分であみ出すしかないのです。上段から切り伏せられ、バックからえびぞりで自分の「死に顔」をカメラに撮らせる。その効果を自覚しながら映画館の大画面にそれがいっぱいに広がり、どうと倒れる。それで主役は強く、凄腕の剣客として「立つ」のです。そのことが何より私はうれしかったのです。
自分が「役者」だなどと思ったことはまったくありませんでした。けれどある日、萬屋錦之介さんに「役者を立てる殺陣をできる人は役者だよ。だから福本は十分、役者なんだよ」といわれ、感動しました。
こんな私でも役者なのか・・・初めて自覚させてもらったのです。スタントから始まって斬られ役、撃たれ役。とにかく「死に方」に知恵を絞り、体力に任せてやり続けました。自分で数えたことはないですが、ある統計によると私は少なくとも2万回くらいは斬られて死んだそうです(笑)。通称「5万回斬られた男」なんて言われているそうですが、さすがにそこまではいきませんよ(笑)。でもそれがやがてハリウッド映画の『ラスト・サムライ』出演につながったのでしょうか。
「ラスト・サムライ」でハリウッドデビューそれでも「斬られ役に代表作はない」
いまだになぜあんなすごい役(老いた寡黙なサムライ=当時の日本男子の美学の象徴)をもらったのか、自分ではわかりません。別撮りではなく、トム・クルーズと現実のツーショットでハリウッドの大作に私が大写しにされたのです。もちろん「死の瞬間」もアップで見事に表現していただきました。
最期は後ろから小銃で撃たれて倒れるのですが、瞬間、宙に浮き、主役クラスの方々の視線を浴びるというカットの演出で私の死に様は記憶に残る、自分でも納得のいくものとなりました。
東映という会社に所属している以上、会社がハリウッドに売り込んでくれるはずもありません。実は、恥ずかしながら私にも後援会というのがあるのです。私を気に入ってくださって、「なんとしても応援したい」という方々が集まっていただいた。思うに、その後援会の方々が、ハリウッドにあちこちからアプローチしてくれたようなのです。「福本は日本最高の斬られ役だ。彼を使ってちゃんと撮らないとハリウッドの恥だ」とささやかれていたという現地の噂をあとで聞いて、後援会のみなさまには感謝に耐えません。
それに『ラスト・サムライ』というタイトルが自分自身と重なっていました。もういい歳です。この先、危険な役などさせてもらえない。本当に「斬られ役」としての最後をここで飾れれば・・・そんな気持ちもありました。それでも、いまだに「私の代表作」などというものは存在しないと思っています。
なぜなら、私は大部屋俳優として人生の大半をすごしてきたからです。作品がハリウッド映画だろうが日本のテレビドラマだろうが、私には関係ありません。出演時間がわずかだろうが長かろうが関係ありません。台詞があろうがなかろうが、関係ありません。
私は斬られ役にこだわり、それに生涯をかけて徹してきたのです。その終焉を飾る演出を、いつの間にか応援してくれていた方々が用意してくれたということです。とてもありがたいことですが、それでも私はテロップにも流れない無名の脇役でいたいのです。そういう人生があり、それに生きがいを感じる人間がいるということを知ってください。
消え行く大部屋の灯火 私になにができるのか
時代は映画界、特に時代劇にはきびしい逆風が吹いています。藤沢周平さんの原作がヒットし、いくつも映画化やテレビドラマ化がされ、久しぶりの「時代劇ブーム」などと言われていますが、現実はお寒いばかりです。今、京都太秦(うずまさ)の東映撮影所の大部屋には、たった二人しか在籍していません。私が生涯を費やした場所が、もう後わずかでその歴史を閉じようとしているのです。それが悲しくてなりません。
藤沢作品のどちらかといえば、下級武士の内面を深く描く世界も私は好きですが、やはり私は「斬られ役」なのです。リアルでなくとも、絵になっているアクション時代劇の灯を消したくはない。残された道は細くなりました。
それでも希望を持ちたい。死ぬまで斬られ続けてやる、という気概はもっています。時代劇映画の灯を残すために、何ができるのか? いま、私は考え続けています。
東映を退職し、「嘱託」になった今、外からの出演の依頼はいろいろとあります。たとえば北野武監督からもありがたいお話をいただきました。でも、現場に行って、ここが出番だと思って、すっくと立ち上がる私を周りのみなさんが止めるのです。
「いや、福本さんは休んでいてください」などといわれ、代役がアクションをするのを見ていると、もう私は終わってしまったのか、などと思ってしまいます。監督やスタッフに気を使わせてしまう大部屋俳優なんて、情けないですよね。
それでも私は、今も「不死身の脇役」だと再び証明する機会を虎視眈々と狙っていますよ(笑)。だれにも相手にしてもらえないかもしれませんが。